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      <title>a02116	四倉さんのオタ日記</title>
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      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>刀伊の入寇</title>
         <description><![CDATA[非常に興味がある文化です。
この時代にどのような暮らしをしていたのでしょうか。

刀伊の入寇（といのにゅうこう）とは1019年に、遼国支配下の満州（中国東北部）を中心に分布した女真族（満州民族）と見られる海賊船団が壱岐・対馬を襲い、更に筑前まで攻めてきた事件。刀伊の来寇ともいう。女真族は、後に金国、さらに17世紀に清を建国する。一方当時の女真族の一部は高麗へ朝貢しており、女真族が遠く日本近海で海賊行為を行うことほとんど前例が無く、捕虜に高麗人もいたことから権大納言源俊賢は賊が高麗人主体か、又は高麗属民の女真族主体の集団ではと疑問を呈している。一方高麗政府が関与していた可能性は薄いと考えられている。




刀伊とは、高麗が北方（東界・北界）の蛮族を指す時に使う名称であった。15世紀の訓民正音発布以降の、ハングルによって書かれた書物では?（そのまま「トイ」）として表れるが、当時とは国境が違うことを理解しておきたい。

刀伊は賊船約50隻の船団を組んで対馬・壱岐を襲撃し、壱岐守理忠を含む多くの島民を殺害・拉致した後、筑前国怡土の郡に襲来、4月8日から12日にかけて現在の博多周辺まで侵入し、周辺地域を荒らしまわった。これに対し、大宰権帥藤原隆家は九州の豪族や武士を率いて撃退した。たまたま風波が厳しく、博多近辺で留まったために用意を整えた日本軍の狙い撃ちにあい、逃亡したと記されている。

被害は、記録されただけでも殺害された者365名、拉致された者1,289名、牛馬380匹、家屋45棟以上。女子供の被害が目立ち、壱岐島では残りとどまった住民が35名に過ぎなかったという。また有名な対馬銀鉱も焼損した。

当初、日本側は何者が攻めてきたのか分からず、賊虜3人がみな高麗人であって、彼らは「高麗を襲った刀伊に捕らえられていたのだ」と申し立てたが、以前に新羅の海賊が九州を襲ったこともあってか、太宰府や朝廷は半信半疑であった。結局、賊が高麗人でないと判明したのは、7月7日、高麗に密航していた対馬判官代長嶺諸近（ながみねのもろちか）が帰国して事情を報じ、9月に高麗虜人送使の鄭子良が保護した日本人270人を送り届けてきてからである。高麗使は翌年2月、太宰府から高麗政府の下部機関である安東護府に宛てた返書を持ち、帰国した。隆家はこの使者の労をねぎらい、黄金300両を贈ったという。












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         <pubDate>Thu, 27 Mar 2008 23:31:21 +0900</pubDate>
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         <title>インパール作戦という残酷な行為</title>
         <description><![CDATA[本当に残酷過ぎる過去の戦争です。
こんな事が無かったらよかったのに。


インパール作戦（-さくせん）（日本側作戦名：ウ号作戦（うごうさくせん））とは、1944年（昭和19年）3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のこと。 補給線を軽視した杜撰な作戦により、歴史的敗北を喫し日本陸軍瓦解の発端となった。 無謀な作戦の代名詞としてしばしば引用される






インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いインパールは、インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であった。ビルマ-インド間の要衝にあって連合国から中国への主要な補給路（援蒋ルート）であり、ここを攻略すれば中国軍（国民党軍）を著しく弱体化できると考えられた。

大本営陸軍部は、1943年8月、第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の立案したインパール攻略作戦の準備命令を下達した。しかし、作戦計画は極めて杜撰であった。川幅約600mのチンドウィン川を渡河し、その上で標高2000m級の山々の連なる急峻なアラカン山系のジャングル内を長距離進撃しなければならないにもかかわらず、補給が全く軽視されていることなど、作戦開始前からその実施にあたっての問題点が数多く指摘されていた。こうした問題点を内包していたことで、当初はビルマ方面軍、南方軍、大本営などの上級司令部全てがその実施に難色を示したインパール作戦であったが、1944年1月に大本営によって最終的に認可された背景には、敗北続きの戦局を一気に打開したいという陸軍上層部の思惑が強く働いた。上層部の思惑を前に、本作戦の危険性を指摘する声は次第にかき消された。（第15軍内部でも作戦に反対した参謀長、小畑信良少将は就任後僅か1ヵ月半で牟田口に罷免されている。） また、インパール作戦の開始前に、支作戦（本作戦の牽制）として第二次アキャブ作戦（ハ号作戦）が1944年2月に花谷正中将を師団長とする第55師団により行なわれた。本作戦は失敗し、同月26日には師団長が作戦中止を命令していたにもかかわらず、インパール作戦に何ら修正が加えられることはなかった。

本作戦には、イギリス支配下のインド独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていたことから、インド国民軍6000人も作戦に投入された。そのうちチンドウィン河まで到達できたのは2600人（要入院患者2000人）で、その後戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害を受けて壊滅している。 なお、連合軍は第14軍第4軍団（英印軍3個師団基幹）を中心に約15万人がこの地域に配備されていた。







引用『ウィキペディア（Wikipedia）』
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         <pubDate>Tue, 05 Feb 2008 18:29:00 +0900</pubDate>
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         <title>フェチとは点…</title>
         <description><![CDATA[人間の心って本当に怖いですね。何事も程ほどに、

フェチとは、身体の一部や衣服・その他記号化された様々な物品・現象に「個性的」な執着を見せたり、性的興奮を示す傾向を指す俗語の一種。性的嗜好の一つで、呪物崇拝、物神崇拝、拝物愛などとも関連するフェティシズム（fetishism）を略した言葉である。

語源、語用
比較的近年使われるようになった言葉で、書籍の題名としては1993年の『ボディコン･クィーンズ?ボディコン レッグ･フェチ写真集』（桜桃書房出版）が早い例である。

フェティシズムが学問的にも使用される表現であるのに対し、フェチは通俗的に使用される表現である。フェティシズム#フェティシズムの誤用にあるとおり、本来のフェティシズムの用法から外れ、軽い「好み」といったものにさえフェチは用いられている。眞鍋かをりが公言する「ボタンフェチ」はこのような例と言っていいだろう。フェチの種類によっては隠される（べき）ものではなくなり、「フェチ」は一般化している。

近年では、フェチの類義語として「萌え」という表現もある。「萌え」はどちらかと言うと、あまり固執しない・ソフトなイメージである一方で、対象がよりマニアックで記号化されているとも言われている。そのため、「萌え」と「フェチ」のどちらがより健康的かを巡ってしばしば意見の分かれる所である。


概要、類型
類型としては

身体の一部分に対する執着（「腋フェチ」「脚フェチ」「ベロフェチ」「おっぱいフェチ」「胸毛フェチ」など） 
服装や服装の一部分、あるいは人間が身に付けるものに対する執着（「パンストフェチ」「めがねフェチ」「ブーツフェチ」「ナースフェチ」「メイドフェチ」「学生服フェチ」「香水フェチ」など） 
特定のシチュエーション、（相互）行為に対する執着（「おもらしフェチ」「寝顔フェチ」「言葉責めフェチ」「フェラチオフェチ」など） 
特定の属性、ロールプレイングに対する執着（「女子高生フェチ」「人妻フェチ」「女装フェチ」「ヤンキーフェチ」など） 
などがある。

ただし、例えば「絶対領域フェチ」の場合、ふとももという身体の一部に対する執着、ミニスカートやオーバーニーソックスという服装に対する執着、そのような服装をさせられるに至ったシチュエーションやロールプレイングに対する執着、というそれぞれの要素がありうる。このように、上記の分類はあえて単純化したものであり、実際のフェチにはこれらを横断的に用いて分析されることが望ましいだろう。

引用『ウィキペディア（Wikipedia）』
	相互リンク
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         <pubDate>Fri, 21 Dec 2007 19:45:57 +0900</pubDate>
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         <title>谷亮子日本に金メダルもたらす！</title>
         <description>やりました！ようやく日本に金メダル。「ママでも金」を達成してくれて本当に嬉しいですよね。
谷選手は『後輩たちにいい影響を与え続けられる選手でありたい』と試合前に言ってましたが、彼女の功績はずっと語り継がれるんでしょう。波乱の続きの世界柔道でしたがこれでホッとしましたよ。


『参照記事』

柔道の世界選手権は最終日の１６日、出産、育児を経て３年ぶりの国際試合に臨んだ女子４８キロ級の谷亮子（３２）（トヨタ自動車）が、２大会ぶり７度目の優勝を果たした。

　７度の優勝は、男女を通じて大会史上最多記録。この日は男子無差別で棟田康幸（２６）（警視庁）、女子無差別で塚田真希（２５）（綜合警備保障）も優勝。前日まで金メダルゼロと低迷していた日本は、最後に３個の金メダルを手にして大会を終えた。

　谷は２００５年末に長男を出産し、休養を経て今年４月の全日本選抜体重別選手権で復帰。優勝は逃したが過去の実績を買われて代表に選ばれた。

　母親として初めて臨んだ世界選手権で最高の結果を残し、来年の北京五輪での五輪３連覇へ向けて大きく踏み出した。 </description>
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         <pubDate>Mon, 17 Sep 2007 18:09:14 +0900</pubDate>
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